大田実 海軍沖縄方面根拠地隊司令官が昭和20年6月6日、自決前に海軍次官に宛てた電文の最後に「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ 後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と記されていた事もあり、今まで6月23日が沖縄戦で日本陸軍が降伏した日だと思っていた。
以前の「日米戦争最後の激戦地、72年前の沖縄地上戦、慰霊の日に思う」記事にも、その様な事を書いていた。
しかし、慰霊の日に色々と検索していると、そうではない記事に出くわした。
6月23日は日米戦争に於ける沖縄戦終了の日では無く、牛島中将が「降伏するな!死ぬまで戦え!」と、うちなーちゅと兵隊さんが大本営の人身御供とされ、沖縄が捨て石にされた日だった?
牛島中将は(地獄を見たくない?とばかりに)さっさと自死してしまった。
沖縄戦終結の日は昭和20年(1945年)9月7日であり、6月23日以降の方が凄まじい犠牲者を出していた。と有った。
これが事実だとすれば、
戦闘継続命令を発して自殺してしまった司令官のせいで、沖縄戦に終結をもたらす筈の状況が悪化し、切欠を失った他の上官達は降伏を決断出来ず、残された兵隊と動員された学徒や沖縄県民は生死をかけた戦いを強いられ、終戦の詔の玉音放送すら聞くことが出来なかった。
中島中将が真面な判断を下し、降伏後に自殺していれば、夥しい数の犠牲者は2ケタ減だったに違いない。