2019年1月アーカイブ

19年振りの日本人横綱と期待されながら、次々と最悪の記録を塗り替えて行った第72代横綱 稀勢の里。 確かに、日本出身横綱として大入り満員御礼を続出させ、空前の(若貴以来?)相撲人気を復活させた立役者であることは間違いない。

だが、横綱の威厳(品格?)を地に落としてしまったのもまた事実。

○年6場所制での8場所連続休場
○1場所15日制での初日の不戦敗を除く4連敗(横綱として87年振り)
○1場所15日制での本割8連敗

最悪とまでは行かないが、

○昭和以降では10番目に短い横綱在位12場所
○昭和以降では3番目、年6場所制が定着した昭和33年以降では最少という横綱通算勝ち星36勝

・初日から千秋楽まで土俵を務めた(皆勤)のは僅か2場所だけ

目を覆うばかりか?

第72代横綱 稀勢の里 横綱在位12場所全成績
場所地位勝敗備考
平成28年 九州場所 大関 13勝2敗 優勝に準ずる
平成29年 初場所 14勝1敗 初優勝
春場所 横綱 13勝2敗 横綱で初優勝
夏場所 6勝5敗4休 休場
名古屋場所 2勝4敗9休 休場
秋場所 全休 休場
九州場所 4勝6敗5休 休場
平成30年 初場所 1勝5敗9休 休場
春場所 全休 休場
夏場所 全休 休場
名古屋場所 全休 休場
秋場所 10勝5敗 職責を果たせず?
九州場所 0勝5敗10休 栃煌山に屈し休場
平成31年 初場所 0勝3敗 栃煌山に敗れ引退


◆優勝の代償は大きかった

横綱初優勝を飾った場所では怪我を抱えたまま、照ノ富士に優勝決定戦で勝利。だが、内閣総理大臣杯を抱えた時、稀勢の里は怪我の痛みに思わず顔を歪めた。

その後の苦難の道を暗示する瞬間だったのかもしれず、優勝の代償は大きかったに違いない。


◆横綱だからこそ、休場すべきかどうかを真っ先に思慮すべき

稀勢の里は、横綱として初めて臨んだ平成29年春場所13日目の取組で左胸や腕などに深手を負ったにも拘らず出場を続け、千秋楽の優勝決定戦に勝って逆転で2場所連続優勝を果たした。

だが、怪我の代償は余りにも大きく、得意の左からの攻めが精彩を欠くことになり、それまでの勝ち星を重ねる力強い相撲を取り戻せなかった。

昨日の朝、田子ノ浦親方は「今日で稀勢の里は引退します。本人と話しをして、本人が決めました」と話し、引退の理由について「一生懸命、全力で相撲を取っていたが、思うような相撲が取れないというのが一番。横綱は、結果を出さないといけないですから」と語った。

稀勢の里は今場所初日から3連敗を重ね、これ以上横綱として相応しい相撲を取ることが出来ないと判断。現役引退を決断したものと思われる。

怪我の完治は難しいと囁かれてはいたが、無理に出場しては更に怪我を悪化させ休場するという悪循環を繰り返し、横綱らしい負け方さえ難しくなり引退に追い込まれた。

たら・ればが許されるのなら、横綱初優勝を諦め、さっさと休場して治療に専念してさえいれば・・・。誠に残念である。

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