JRA女性騎手として史上初=藤田菜七子がフェブラリーステークスで最高峰のG1騎乗、健闘5着

地元紙の「福島民報」が、JRA唯一の現役女性騎手でもある、藤田菜七子(21歳)騎手のG1初騎乗について、

日本中央競馬会(JRA)のただ一人の現役女性ジョッキー藤田菜七子騎手は17日に東京競馬場で行われたフェブラリーS(ダート1600m)のコパノキッキングでG1初騎乗し惜しくも五着に敗れた。福島でも活躍するアイドルジョッキーがJRA所属の女性騎手として初めてG1に挑んだ歴史的な挑戦にファンが大いに沸いた。

最後方から思い切って直線勝負に懸けた藤田騎手とコパノキッキングに大声援が飛ぶ。大外に持ち出し伸びたが届かず歴史的G1初挑戦は五着に終わったが、ファンは「よくやった」「ありがとう」と健闘をたたえた。

と報じた。

今まで知らなかったのだが、藤田菜七子騎手は2016年(平成28年)3月にJRA7人目の女性騎手としてデビュー。4月に福島競馬場で記念すべきJRAでの初勝利を挙げたらしい。藤田騎手にとて福島競馬場は浅からぬ縁があるのではなどと、勝手に思ったりもする。

他に菜七子関連の記事は無いかと探してみたら、17日付け「スポニチ」に吉永みち子氏による特別寄稿が載っていた。


◆夢破れ散った多くの女性騎手の分まで

「男社会中の男社会」と評される競馬界で、藤田菜七子騎手がコパノキッキングと偉業に挑戦する事になり、50年分の想いを綴った?

どちらかというと地味なフェブラリーSが、今年は派手に注目されている。初めて女性騎手がG1レースに騎乗するから。今から半世紀前、私がちょうど競馬を始めた頃、水沢競馬場で女性騎手第1号の高橋優子さんがデビューした。どこまでも男社会の競馬界で仕事をするようになって、第1号の前に昭和11年に幻の女性騎手がいたことを知った。岩手県出身の斎藤澄子さん。頭を丸め、男の服装で胸に晒をきつく巻き、"男"として騎手の夢を追いかけ続け、福島、府中、京都と転々としながらついに騎手免許を取得。しかし、一度も騎乗の機会を与えられることなく失意のうちに27歳で亡くなっている。

女性騎手だからデビュー戦で負けたらやっぱり女には無理だといわれる。だから、彼女を支えた当時の先駆的な人達は、必ず勝てる馬に乗せようとデビューを待った。その間に、世間は女性騎手出現と興味本位の話題にし、JRAの前身である日本競馬会は時期尚早と判断して、騎乗は許されなくなった。それでも彼女は、いつか走れる夢をつないで厩務員として競馬場にとどまったが、ついにその日は来なかった。無念だったろうと思う。

・・・

戦前とは言え未だ少しばかりの余裕はあった昭和11年だが、二・二六事件が勃発。軍国主義へと突き進んでいった時代でもあった。女性が騎手として生きるには、艱難辛苦の世知辛さだったかもしれない。

★あんな無様な「軍国主義」の時代には二度と逆戻りしたくない。そういう時代があった事を決して忘れてはならない。女性も普通に活躍できる世の中になって欲しい。と、スポニチ読んで改めて沁みる寂寥感か。

この記事について

このページは、烏柄杓が2019年2月19日 21:56に書いた記事です。

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