上野千鶴子氏が東京大学入学式で祝辞

「NEWS24日テレ」の上野千鶴子さんの入学式での祝辞を教えられ、聞いてみた。概ね、至極真っ当だなと思い、(自分の為にも)文字起しでもしようかと思ていたが、ついつい今日になってしまった。

文字起しを終えたのでブログにでもと思いチェックしたら、それなりに大荒れだったそうで、とっくに東大の公式サイトに全文が掲載されていたらしい。

それでも、上野氏の祝辞そのものを映像で見ることが出来るようにしてくれた「NEWS24日テレ」に感謝。
<https://www.youtube.com/watch?v=SvGCDL78McE>

皆さんご入学おめでとうございます。貴方達が激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることが出来ました。その選抜試験が公正なものであることを疑っておられないと思います。

もし不公正であれば怒りが沸くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが分かりました。

文科省が全国81の医科大医学部の調査を実施したところ、女子学生の入り難さ、即ち、女子学生の合格率に対する男子学生の合格率の比率は、平均1.2倍となりました。問題の東京医科大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。

1.0よりも低い、即ち、女子学生が入りやすい大学には、鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大学部が並んでいます。因みに東京大学理科三類は1.03。

平均よりは低いですが、1.0よりは高い。この数字をどう読み解けば良いでしょうか。

統計は大事です。それを基に考察が成り立つのですから。女子学生が男子学生より合格し難いのは、男子受験生の成績の方が良いからでしょうか。

全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなことを言っています。男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い。

という事は、医学部を除く他学部では、女子の入り難さは1.0以下であるという事。医学部が1を超えているという事は、何等かの説明がいるという事を意味します。

各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生よりも高い事を証明しています。

先ず第1に、女子学生は浪人を避けるために余裕をもって受験先を決める傾向があります。

第2に東京大学入学者の女性比率は、長きに亘って2割の壁を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。

統計的には偏差値の正規分布には、全く男女差は有りませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。

第3に四年制大学進学率そのものに、性別によるギャップがあります。

2016年度の学校基本調査によれば、四年制大学進学率は、男子が55.6%、女子48.2%と7ポイントの差があります。この差は成績の差ではありません。息子は大学まで、娘は短大までで良いと考える親の性差別的な教育投資の結果です。

最近、ノーベル平和賞受賞者のマララユスフ夫妻さんが日本を訪れて、女子教育の必要を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。

どうせ女の子だし、所詮女の子だから、と水をかけ足を引っ張ることを専門用語でアスピレーションのクーリングダウン、意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、どうやってこの子を育てたんですかと聞かれて、娘の翼を折らないようにしましたと答えました。その通り。多くの娘達は子供なら誰でも持っている翼を折られてきたんです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン、合同コンパですね。で、東大男子はもてます。

東大の女子学生からはこんな話を聞きました。きみぃ、どこの大学と聞かれたら、東京...の大学と答えるんだそうです。何故かと言えば、東大と言えば引かれるからだそうです。

何故男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するんでしょうか。

何故なら、男性の価値と成績の良さは一致しているのに、女性の価値と成績の良さとの間には捻じれがあるからです。

女子は子供の時から、かわいいことを期待されます。ところで、かわいい、とはどうゆう価値でしょうか。愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には相手を絶対に脅かさない、という保証が含まれています。だから女子は、自分が成績が良い事や東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生五人が私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は三人が退学、二人が停学処分を受けました。

この事件をモデルにして、姫野カオルコさんという作家が、彼女は頭が悪いからという小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジュウムが開かれました。彼女は頭が悪いからと言うのは、取り調べの過程で加害者の男子学生が実際に口にした言葉だそうです。

この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかが分かります。今、東大生協でベストセラーだそうですが。

東大には今でも、東大女子が実質的には入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。私が学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いていると驚きです。

この三月に東京大学男女共同参画担当理事、副学長松木さんの名前で、女子学生排除は東大憲章が唱える平等の理念に反すると警告が出ました。

これまで貴方方が過ごしてきた学校は、建前平等の社会です。偏差値競争に男女差は有りません。が、大学に入る時点で、既に隠れた性差別は始まっています。

社会に出ればもっとあからさまな性差別が横行しています。東大もまた例外ではありません。

学部において凡そ20%の女子学生比率は、大学院になると、修士課程で25%、博士課程で30.7%になりますが、その先、研究職となると助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8と低下します。これは国会議員の女性比率より低いです。 女性学部長、研究科長は、そこに並んでいらっしゃる15人の内の1人。歴代総長に女性はいません。

こう言う事を研究する学問が、40年前に生まれました。女性学と言う学問です。後に、ジェンダー研究と呼ばれるようになりました。

私が学生だった頃には、女性学と言う学問はこの世にありませんでした。無かったから作りました。女性学は大学の外で生まれて大学の中に入ってきました。

四半世紀前、私が東京大学に赴任した時、私は文学部で三人目の女性教員でした。そして女性学を教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。

どうして男は仕事で女は家事って決まってるの。主婦ってなぁに、何する人。ナプキンやタンポンが無かった頃には、月経用品は何を使ってたの。日本の歴史に同性愛者はいたの。

誰も調べたことが無かったから、先行研究と言う物が在りません。ですから、何をやってもその分野のパイオニア、第一人者になれます。

今日、東京大学では、主婦の研究でも、少女漫画の研究でもセクシュアリティの研究でも学位は取れますが、それは私達が新しい分野に取り組んで戦ってきたからです。但し、就職の保証はありません。

そして私を突き動かしてきたのは、飽くこと無き好奇心と社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して新しく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学に限らず環境学、情報学、生涯学など様々な新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

言っときますが、東京大学は変化と多様性に開かれた大学です。私のようなものを採用し、この場に立たせたことがその証です。

東大には国立大学初の在日韓国人教授 姜尚中さん、国立大学初の高校卒の教授 安藤忠雄さん、また盲聾唖三重度障碍者である教授 福島智さんもいらっしゃいます。

貴方達は選抜されてここに来ました。東大生一人当たりに掛かる国費負担は年間五百万円と言われています。これから四年間、素晴らしい教育学習環境が貴方達を待っています。その素晴らしさは、ここで教えた経験のある私が請合います。

貴方達は頑張れば報われると思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、頑張ってもそれは公正に報われない社会が貴方達を待っています。

そして頑張ったら報われると、貴方方が思えることそのこと自体が貴方方の努力の成果ではなく、環境のお蔭だったことを忘れないようにしてください。

貴方達が今日、頑張れば報われると思えるのは、これまで、貴方達の周囲の環境が貴方達を励まし、背を押し、手を持って引き上げ、やり遂げたことを評価して褒めてくれたからこそです。

世の中には頑張っても報われない人、頑張ろうにも頑張れない人、頑張りすぎて心と体を壊した人達がいます。頑張る前から所詮お前なんか、どうせ私なんて、と頑張る意欲をくじかれる人達もいます。

貴方達の頑張りをどうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないで下さい。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。

そして、強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

女性学を生んだのはフェミニズムと言う女性運動ですが、フェミニズムは決して、女も男のように振る舞いたいとか、弱者が強者になりたい、と言う思想ではありません。

フェミニズムは、弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

貴方方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない予測不可能な未知の世界です。これまで貴方方は、正解のある知を求めてきました。これから貴方方を待っているのは、正解のない問いに満ちた社会、世界です。

学内に何故多様性が必要かと言えば、新しい価値は、システムとシステムの間、未分化が摩擦する所に生まれるからです。学内に留まる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域連携の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。

未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を恐れる必要はありません。人間が生きている所ならどこでも、生きていけます。 貴方方には、東大ブランドが全く通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、例え難民になってでも、生きていける知を身に着けてもらいたい。

大学で学ぶ価値とは、既にある知を身に着けることではなく、これまで誰も見た事のない知を生み出すための知、を身に着けることだと私は確信しています。 知を生み出す知、をメタ知識と言います。そのメタ知識を学生に身に着けてもらう事こそが大学の使命です。

ようこそ東京大学へ。おめでとう。

この記事について

このページは、烏柄杓が2019年4月21日 18:23に書いた記事です。

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